~うつの治療とリワークの関係~
うつは「心の病気」であり、「脳の機能障害」とも言われている。実際、医学的にはそういう表現が適切なのだろう。ただ、私は10年間この心の病気と格闘してきた結果、うつ(特に長引いたり繰り返したりするもの)は「心の大けが」という捉え方がしっくりくるように思う。
「病気」と捉えるか、「けが」と捉えるか、そのことがなぜ重要なのか。私は、リワークを通じた自分自身の回復の過程を体験する中で、その捉え方を共有できればと思ったのである。
少し前に、「うつは心の風邪」と言われたそうだ。このキャンペーンには功罪があると言われている。功の側面としては、心に不調を抱える人が、それまで一般的に受診することに抵抗が強かった精神科を気軽に受診できるようになったこと。一方で、罪の面としては、「うつは薬を飲めばすぐに治る」といった、安易な考えを持ちやすくしてしまったこと。また、こうした安易な風潮が蔓延ることによって、治療が長引く患者や周囲の人に「なかなか治らないことへの焦り」を感じやすくしてしまったことが挙げられるのではないだろうか。
2017年にヒットした漫画「うつヌケ」の中で、著者の田中圭一氏は「うつは心のガンだ」という主張をしている。「うつは風邪のような軽い病気」という世間の誤解が、患者をますます苦しめている。うつは下手をすれば自殺と言う最悪の結果を招く、言うなれば「死に至ることもある深刻な病気である」という主張である。
うつを「病気」という言葉で捉えておくのならば、少なくとも「風邪」よりは「ガン」という方が、患者側の苦しみの観点から見てフィット感はあると思う。うつは風邪のように誰でもかかることのある病気である。ガンも、誰でもかかることのある病気だ。風邪もガンも、「誰でもかかり得る」点は共通だが、苦痛のレベルが比較にならない。そこも含めて周囲に理解して欲しいという思いを込めるとするならば、「うつは心のガン」という表現は「風邪」よりもわかりやすいとは思う。ただ、我々うつ病患者もガン患者の本質的な苦しみを理解しているわけではないので、その点は少々配慮が必要だとも感じる。
少々話がそれてしまったが、要は、うつは「風邪のように簡単に治る病気ではないし、みんなが思っているより苦しいのだ」ということを、田中氏は言いたいのだろうし、私もそれは実体験として同意である。
上記のような主張も出てきた中で、私があえてうつは「心の大けが」だと捉えることの意味を以下に述べていきたい。
第一に、うつ等の心の疾患の本質は、「心の傷」なのではないかということである。様々な形のストレスによって、私たちの心は「傷」を負ったのである。傷を負うとは、すなわち「けがをする」ということではないだろうか。とりわけ、何年も治らないようなうつは、「大けが」だと言える。心が痛む原因は、何らかのトラウマ(心的外傷)にあることが多いのではないか。この心的外傷の「外傷」という言葉はまさに「けが」という意味に捉えられる。
例えば、プロ野球のエースピッチャーが肘の靭帯を断裂してしまったと考えてみる。当然そのピッチャーはしばらくシーズンを休み、けがの治療をすることになる。手術をし、その後は当分リハビリを行い、まず日常の動作に支障がない程度まで回復する。その後少しずつスポーツをするために必要な筋力を取り戻すためのトレーニングを行い、2軍の練習に参加し、2軍の試合で調整をする。問題なければ1軍に復帰するが、場合によってはエースというポジションは務まらなくなり、抑えや中継ぎとして自分の新しい居場所を作っていくこともある。
私は、この流れ、特に回復、復帰までの流れがうつ病の治療から職場復帰までの流れにとてもよく似ているように思うのである。少なくとも、私は、今年半年以上リワークプログラムを受けながら少しずつ少しずつ、もともと出来ていたことが出来るように回復したり、少し物事の捉え方を変えたりしているうちに、そのような過程が上記のピッチャーの復帰の流れに似ていると思ったのだ。
上記のピッチャーが、1軍で再びエースとして投げることを焦って、リハビリのプロセスをおざなりにしていれば、どうなるだろうか。たとえ手術が成功しても、その後のリハビリをしっかりと行わなければ、筋力を始め、スポーツに必要な体の機能というのは十分に回復しないだろう。それどころか、早々に再び同じ箇所を傷めて、再度治療のために戦列を離れることになってしまう。けがというのは一度傷めると癖になるそうだ。下手すれば、1軍でエースどころか、野球選手として生きることができなくなってしまうかもしれない。
プロや第一線で活躍するアスリートは、そういうことをよくわかっているから、けがをしてしまった場合は1シーズンを棒に振ってでも念入りにリハビリとトレーニングをするのだろう。
人の心とか、精神というものは、目に見えないものであるため、物理的、もしくは理学的な回復状態を客観的に確認することが難しい。しかし、長期化するうつや再発を繰り返すうつは、肘の手術直後に十分なリハビリをせずに野球のエースとして復帰することと同じような構造になっているのではないだろうか。
つまり、休養や薬物療法で一見回復したように見えても、実はまだ上手く心を動かすリハビリや、再び同じところを痛めないような心の使い方を練習しないままに、まるで痛めた肘のギブスが取れたとたんに1軍の試合に出るような形で、仕事という第一線に戻ること(復職)を繰り返すことが、心のけがを癖にさせ、悪化させていたのではないだろうか。
うつ病の治療における十分な休養は、手術のようなもの。薬物療法は、ギブスや松葉杖のようなもの。これらに加えて、心理療法や作業療法など、けがの治療でいうところのリハビリを十分行わなければ、復職、つまり再びマウンドに立つことは難しいのではないだろうか。
けがをする以前の自分が剛速球が自慢のエースだったとしたら、けがから復帰後はもしかしたら変化球を主体に戦う中継ぎ投手としてのキャリアを歩まねばならないかもしれない。
うつ病になると、どうしても「元の自分に戻りたい」という思いが強くなってしまうが、それはやはり、負傷した肘をまた痛めてしまうことになるかもしれない生き方なのである。であれば、どうするか。変化球主体の中継ぎでも、ピッチャーであれることに満足するか。他のポジションでも野球がやれることに意義を見出すか。選手としてではなく、他の形で野球と関わるのか。もしくは全く別の人生を生きるのか。元の自分に戻らなくても、実は生きる道は色々とあるのである。
リワークを通して、私は色々な形で自分の心に負荷をかけてみた。時には元の自分に戻ろうとしてみたり、時には以前とは違うやり方をしてみたり。色々な形で心を動かしてみると、「ああ、これをやると痛いな」とか、「ああ、こうやって動かすと楽に動くな」とか、そういうことが見えてくる。それは、身体のけがから立ち直る際のリハビリの中でも、同じようなことを経験するのではないだろうか。
ある人は、「心を病んでしまうなんて、弱い人だ」と言うかもしれない。でも、どんなに体を鍛えているアスリートでも、けがをすることはある。それを見て、「あの選手は体が弱い」と言うだろうか。
心も、体と同じで大きな負荷がかかればけがをする。疲労で骨が折れてしまうことがあるのと同じだ。うつの再発を繰り返してしまうのは、十分にリハビリをしていないままに復職してしまうので、けがが癖になってしまい、同じところをまた痛めてしまうからなのだろう。逆に言えば、十分にリハビリを行えば、心をどういう風に動かせばスムーズに生きられるのかを考えられるし、新しい自分の生き方のヒントが得られると思う。もう剛速球で勝負しなくても周囲は自分を受け入れてくれるはずだという自信が生まれる。
けがから立ち直る上での必要なプロセスとしてのリハビリ、それがうつ病治療におけるリワークなのだと考えてみると、リワークで過ごす時間がとても意味深いものになると思う。
私自身も、10年間、焦る気持ちを抑えることができず、リハビリをせずに復職してきたために、何度も何度も心の同じ部分を痛めてきた。しかし、今回、じっくり腰を据えてリワークプログラムにおよそ7カ月取り組んでみて、ようやく上記のような考え方ができるようになり、まだまだ先は長い人生とゆっくり向き合ってみようという気持ちを取り戻すことができた。
「心のけが」を治すためにとても大切な時間だと思えば、今まで止められなかった「焦り」を抑えて、リワークにじっくりと取り組むことができると思う。
掲載日:2018年04月03日