1. 幼少期から振り返る
幼少期はいわゆる「おとなしく手のかからない子」「のんびり屋さん」「ドジっ子」でした。
学生時代は楽しく不自由なく過ごす半面、交友が極端だったり自己評価と他者評価との差に気付いたりすることはありました。また、周囲の話が聞こえ難かったり流れについていけなかったりすることもあり、適当に相槌をうったり空返事をしたりしていました。その頃は周囲から少し浮いていても「個性」とみられていたと思います。
社会人になりIT技術職に就き、顧客先で個人や少人数で社内システムアプリケーションの開発や管理を長年行っていたので、考え方やコミュニケーションの癖や苦手さ、偏りに気付きにくかったです。不注意によるミスも度々起こしましたが、大きなトラブルにならなかったことも気づきにくさに繋がったと思います。忘れ物や失くし物もありましたが、顧客貸与物の紛失はありませんでした。システムアプリケーション管理は顧客先にいることが大事といわれるので、体調不良でも出勤し、休むことはほとんどありませんでした。
2.限界を感じ休職する
異動により、これまで経験したシステム管理業務に加え、リーダー格でチームメンバーの業務管理を行うようになってから考え方やコミュニケーションの癖が目立ち、ストレスから体の傷みや睡眠の乱れが現れ、さらに自身のミスで起こしたシステムトラブルへの対応などで体調が一段と悪化し、産業医により抑うつと診断され休職することになりました。
3.不得意なこと/苦手なこと、得意なこと/できることを知り、覚醒する
休職前から感じていた他人の話を理解しにくいこととコミュニケーションの癖を改善しないと、復職してもうつが再燃すると思い、リワークプログラムの受講を主治医に相談し、RAKUに通い始めました。
プログラムでの様子や生活記録内容、スタッフさんとの面談などから発達障害を指摘され、主治医からもASD診断、ADHD傾向ありと告げられました。
ASDやADHDについて学ぶうち、自身の性格や言動の良くない/正すべき部分だと思っていたものが障害特性であることや、障害特性により、不得意なこと/苦手なことだけではなく得意なこと/できることがあることも知りました。素の自分自身に少しずつ覚醒していく感じでした。
4.知恵と勇気を得て再始動する
発達障害を知ってから、仕事については障害特性を踏まえた働きやすさを軸に考えるようになり、周囲やスタッフさんの助言や支援をうけ転職しました。復職しなかったため多くのものを失い諦めましたが、RAKUでは素の自分自身とそれを活かす知恵と勇気を授かったので、今後は無理せず“楽”して生きると決めました。
5.皆さんにとって、自身にとってRAKUとは
傷を癒し、新たな面を引き出してくれ、今後も困難に直面したら立ち寄り新たな知恵と勇気を授かる処です。このページを観たあなたも、今は傷ついていて一時の休みと再始動するための知恵と勇気が必要なはず。気軽に立ち寄ってみませんか?
掲載日:2023年06月21日